青野昌司 あおの・まさし/1918~

出身地:中国・青島 特許庁技官。特許情報センター常務理事として特許情報データベースの構築を推進し、データベースサービスの先駆けとなった。 旅順工科大学航空科を出て1950年特許庁に入った。申請事務の効率化を図るために特許情報をデータベース化する…

赤司正記 あかし・まさき/1927~

出身地:東京都 コンピュータによる新聞製作システムの開発に従事し、記事データベースの商用化を実現した。データベースサービス業連絡懇談会座長として国産データベース・サービスの振興に努めた。 1951年東京大学経済学部を出て日本経済新聞社に入った。1…

秋草篤二 あきくさ・とくじ/1909.7.7~2001.11.22

出身地:群馬県 電電公社総裁。 1934年東京商科大学(現一橋大学)を出て日本無線通信(のちの国際電信電話)に入った。1952年日本電信電話発足と同時に経理局長となり、1965年副総裁、1977年総裁となった。 富士通元社長・秋草直之の実父。 秋草篤二 - Wiki…

飽田了三 あくた・りょうぞう/1929~

出身地:東京都 システム・エンジニア。情報システム会社の経営者となり、日本情報センター協会の発足に尽力した。 東京都立大学の独文学部を出て再び経済学部に入り直した。経済学部で方程式の解法に興味を持ち、それが計算機の技術を身につけることにつな…

浅間知健 あさま・ともたけ/1924~

出身地:東京都 国際タイムシェア社長。国際VANサービスの先駆けとなった。 1947年慶應義塾大学工学部を出て高島屋飯田に入った。1955年高島屋飯田と丸紅が合併して丸紅飯田となったとき海外に赴任、1966年アメリカ丸紅社の子会社の副社長を経て1972年電子産…

安達一彦 あだち・かずひこ/1944.2.26~

出身地:大阪府 1944年生まれ。 オンライン・トランザクション処理システムの先駆者。 1967年横浜国立大学工学部を出て日本ユニバック総合研究所に入った。1971年日本CDC(米kコントロール・データ社の日本法人)に移り、技術サービス部マネージャーのとき…

新井 正 あらい・ただし/

東京芝浦電気。アナログ計算機を開発した。東大TACプロジェクトの一員。 1950年代から1960年代前半にかけて、電力や製造業、大学の研究所、開発部門向けのアナログ計算機(アナコン)「TASAC」を開発した。アナログ計算機は、飛翔物の位置予測や原子炉制御の…

荒井俊典 あらい・としのり/1938~

出身地:栃木県 関東タックの創業者。オフコンをターンキーシステムとして普及させた。 1962年早稲田大学政治経済学部を出て日本情報処理開発協会に入った。 1977年独立して宇都宮市に関東タックを設立した。社名の由来は「タスク・エイド・センター」の頭文…

新井義雄 あらい・よしお/1926~2002.6.21

出身地:東京都 ワイ・イー・データ社長。国産フロッピーディスク装置(FDD)の市場を形成した。 旧制巣鴨中学を出て陸軍航空士官学校予科に入った。終戦後、早稲田大学工学部に入り、1952年安川電機に入った。北九州支店に配属され、1972年東京支社営業企画…

荒木東一郎 あらき・とういちろう/1895~1977

経営コンサルタント。大正期にパンチカードシステムの普及啓蒙に取り組んだ。 1917年(大正6)上野陽一とともに米国産業界を視察して製造業における生産能率向上の手法を学んだ。1923年「荒木能率事務所」を開設し、のち上野陽一が設立した産業能率研究所の…

荒木正己 あらき・まさみ/1914~

出身地:兵庫県 日本電気の初期の電子計算機営業を担った。日本電気ハネウェル・インフォメーション・システムズ社長。 1936年(昭和11)早稲田大学政治経済学部を出て日本電気に入った。1955年トランジスター式電子計算機「NEAC2200シリーズ」の営業を担当…

石川郁郎  いしかわ・いくろう/1921.6.23~2005.5.9

出身地:静岡県浜松市 野村コンピュータシステム社長。 1946年東京帝国大学経済学部を出て野村證券に入った。調査部に配属され、1962年調査部長、1965年野村総合研究所に移り調査部長、1976年副社長を経て1979年12月野村コンピュータシステム(NCC)社長に就…

丸森隆吾 まるもり・りゅうご/1935.11.12~2011.7.12

佐藤雄二朗 さとう・ゆうじろう/1933.2~2010.3.4

立教大学を出て吉澤会計機に入りUNIVAC電子計算機の営業マンとなった。金融営業部門を統括し、富士銀行をめぐる日本IBMとの戦いに敗れたあと大阪支店長となり、日本ユニバックの営業を立て直した。 1992年に独立しアルゴ21を設立、東京証券取引所1部上場を…

吉田 剛 よしだ・つよし/1914〜

1914年東京に生まれ、1941年東京帝国大学3年生で繰上げ卒業となり商工省に入った。第2次大戦中は物資の調達に駆け回り、戦後は焼け跡の日本の復興に尽力した。東京通産局長だった1967年、日本情報処理開発センター発足とともに専務理事となった。