田中啓次郎 たなか・けいじろう/1891~1981

新潟県に生まれ1916年早稲田大学を出て黒澤貞次郎商店に入った。

1921年支配人となったが、黒澤商店の経営が傾いたとき、「高給取りがしがみついていることは許されない」と独立して「日本事務器商会」を設立した。

日本事務器商会は輸入事務機器の販売ばかりでなく、独自開発の情報記録管理装置を開発したが、内紛もあって1932年に分裂し、創業者の田中啓次郎は代表者の座を降りた。田中はこのために東京・荻窪の私邸を抵当に入れて資金を工面したが、それでもなお五万円の借金が残っていた。

そこで田中は日本事務器商会から離れ、くろがね工作所社長の三村小太郎の支援を受けながら、帳簿型ビジブルレコーダー(カード式情報記録装置)「バイコ」の開発に成功した。事務機器の輸入が激減したことが幸いして、「バイコ」は増産に次ぐ増産となった。当初の販売目標は月間300台だったが、1941年には年5万台を販売したという。陸海軍の工廠が大口取引先だった。

第2次大戦後、日本事務機商会に復帰し、株式会社に改組した。

1961年、日本電気と共同で小型電子計算機の開発に着手し、のちの「オフコン」の基礎を作った。

1968年勲四等瑞宝章

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