2019年7月9日 ロス・ペロー氏が死去

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47166920Q9A710C1FF8000/?fbclid=IwAR0m5DPKujP0btDyF7i-gyWR24DOg2CyybP9LeHax9pFVBYMhh-hoIfBKkM

【ワシントン=芦塚智子】1990年代に米大統領選の独立系候補として2回出馬した著名実業家ロス・ペロー氏が9日、死去した。89歳だった。複数の米メディアが報じた。

実業家ロス・ペロー氏(2010年4月)=AP

実業家ロス・ペロー氏(2010年4月)=AP

ペロー氏は既存政党を批判し、無所属として出馬した92年の大統領選で20%近くの票を獲得。民主、共和の二大政党以外の候補として近年では最大の支持を集めた。保守票が分散し、再選のかかった当時のブッシュ(父)大統領が民主党ビル・クリントン氏に敗れる一因にもなった。96年の大統領選にも新党「改革党」を立ち上げて出馬した。

ペロー氏は南部テキサス州の自宅で死去。白血病を患っていたという。ペロー氏はテキサス州出身で、1962年に情報処理大手エレクトロニック・データ・システムズ(EDS)を設立。その後、情報システム会社「ペロー・システムズ」を設立するなど成功を収め、巨万の富を築いた。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47169310Q9A710C1I00000/

巨額の富を手にしながら、随所に人情味をみせた(2012年4月撮影)=ロイター

巨額の富を手にしながら、随所に人情味をみせた(2012年4月撮影)=ロイター

 

9日、89歳で死去した米実業家、ロス・ペロー氏は政治家経験のない富豪から1992年と96年の米大統領選挙に2度挑んだ。既成政党や自由貿易を批判し、米政治の刷新を訴えた姿は、四半世紀後に登場するトランプ大統領とも重なる。強烈な個性と行動力を備えた異色の人物だった。

世界大恐慌中の1930年に南部テキサス州の綿花商人の家に生まれた。新聞配達などを続けて苦学の末、アナポリスの海軍アカデミーを卒業。兵役を経てコンピューター最大手IBMに入り、セールスマンとして1年のノルマを3週間で達成する辣腕ぶりをみせたという。

IBMで提案したソフトウエアなど新規分野への展開が聞き入れられず、62年に情報処理会社のエレクトロニック・データ・システムズ(EDS)を妻から借りた千ドル(約11万円)で設立した。84年に業界最大手に成長した同社株を自動車大手ゼネラル・モーターズGM)に24億ドルで売却して巨額の富を得た。

典型的な米ベンチャーの成功物語といえるが、圧巻はその後だ。GMの取締役に就くと自ら中古車を運転して現場を回り、「GM再生とは巨象にタップダンスを教えるようなものだ」などと大企業病官僚主義の実態を次々と内部告発した。当時のスミス会長に愛想を尽かされ、取締役を解任された。

歯に衣(きぬ)を着せない批判の矛先は大企業から米政治に向かう。92年、無所属から同年の大統領選挙に立候補する意向を表明した。既得権益がはびこる米政治の批判や米財政赤字の大幅削減の訴えなどで急速に人気を得た。一時は支持率が急上昇して共和党のブッシュ(父)、民主のクリントン両候補を抑えて首位となり「ペロー現象」といわれた。

だが強烈な個性は様々な摩擦も招いた。選挙の4カ月前にいったん出馬の断念を表明する不手際もあり、ブームは続かなかった。92年の大統領選は20%近い票を獲得したが、保守票の分散に乗じて民主党クリントン氏が勝利。同じテキサス出身で互いにいがみ合ったブッシュ氏の再選を阻む形になった。

96年には新党の「改革党」を立ち上げて二大政党に対抗したが、得票は8.5%と前回より振るわなかった。

貿易黒字を稼ぐ日本への強い警戒感も口にした。北米自由貿易協定NAFTA)の締結に「米国からの雇用がメキシコに吸い取られる」と反対したこともある。

09~10年の「ティーパーティー(茶会党)」など既存政治への批判は受け継がれ、16年の大統領選でのトランプ氏の勝利に道を開いた。強い米国と製造業の復活、自由貿易への疑念、そして既存政治への不信など、ペロー氏の主張は多くの面で「トランプ流」の先駆けになったともいえる。

19年に米フォーブス誌が算出したペロー氏の資産は41億ドル。巨額の富を手にしながら、随所に人情味をみせた。若手ベンチャーの旗手だったアップルのジョブズ元会長に2千万ドルをぽんと補助。地元ダラス地区のハイテク振興にも協力した。

苦境におかれたベトナム戦争の米国人捕虜にチャーター機で食料や薬品を提供し、79年にはイラン革命で人質となったEDS社員の救出を支援するなど、愛国者としての数々の貢献にも評価が集まった。(ワシントン支局長 菅野幹雄)