大野達男 おおの・たつお

野村証券に入り1955年情報システム部長、66年野村コンピュータシステム(株)設立と同時に取締役、70年常務、72年社長。稲葉秀三のあとを受けて日本情報センター協会会長に就任し、受託計算サービス業の高度化、ソフトウェア業との融合、通信回線の第一次開放などに尽力した。年齢の割に背の高いスマートな体格で、話す声は温和だったが、国の施策に依存しないで済む産業を目指す意思は強かった。バランス感覚に優れ、何かとぎくしゃくしたセンター協とソフト協の関係を調整したこともしばしばあった。