アラン・ケイ Alan Curtis Kay/1940.5.17~

マサチューセッツ州に生まれ10歳でラジオ番組のクイズ・チャンピオンになった。神童と称えられたが反抗的な態度が世の中に受け入れられず、1960年入隊した空軍でも懲罰を受けている。しかしその能力を認めた空軍は62年コロラド大学、66年ユタ大学に”留学”させて情報システム工学を専攻させた。68年最初のパーソナルコンピュータのイメージ「ダイナブック」を発表、スタンフォード大学人工知能研究所を経て72年ゼロックスパロアルト研究所に入った。「ALTO」の開発では全体の構想を示すとともにオブジェクト指向プログラミング言語Smalltalk」を開発している。81年アタリ社技術担当副社長を経てアップル社の研究フェローとなった。