アムダール → ジーン・アムダール

アタナソフ → ジョン・ビンセント・アタナソフ

it-person.hatenadiary.com

アーサー・ロック Author Rock/1926.8.19〜

アメリカのベンチャーキャピタリスト。 ハイテク関連の研究開発型新興企業を対象にした初のベンチャーキャピタルを設立した。 1957年ハーバード大学ビジネススクールを出て、ハイドン・ストーン投資銀行に入った。入社直後、ショックレー研究所に勤めていた…

アラン・ケイ Alan Curtis Kay/1940.5.17〜

パソコンの概念を作った。オブジェクト指向言語を開発した。 マサチューセッツ州に生まれ、10歳でラジオ番組のクイズ・チャンピオンになった。神童と称えられたが反抗的な態度が世の中に受け入れられず、1960年に入隊した空軍でも懲罰を受けている。しかしそ…

アイバン・サザランド Ivin E Sutherland/1938.5.16〜

コンピューター・グラフィックスの基礎技術を開発した。 ネブラスカ州に生まれ1959年カーネギー工科大学(現在のカーネギーメロン大学)を出てカリフォルニア工科大学大学院に進んだ。1960年マサチューセッツ工科大学大学院リンカーン研究所に入りクロード・…

片貝孝夫 1946.10.7〜2016.2.1

1946年10月7日群馬県東吾妻町岩下生まれ。日立製作所、コンピュータアプリケーションズ(CACホールディングス)で汎用コンピュータ向けビジネスソフトの開発に従事した。1983年に独立して「片貝システム研究所」を設立、以後はパソコンソフトの世界に転身し…

アーノルド・ベックマン Arnold Beckman/1900.4.10〜2004.5.18

1950年代の電気工学研究者。ベンチャーキャピタリスト。ショックレーのトランジスター研究を支援した。 アーノルド・ベックマン - Wikipedia ls.beckmancoulter.co.jp 【エピソード】カリフォルニア工科大学教授だった1934年、「ガラス電極式pH測定機」の研…

岡崎文次 おかざき・ぶんじ/1914.7.7〜1998.7.23

国産電子計算機「FUJIC」の開発者。 1939年東京帝国大学物理学科を卒業して富士写真フイルムに入った。レンズの設計を担当したが、光線の屈折を解析するために、専門の女子事務員が2人1組で対数表を使用して紙と鉛筆で計算を行っていた。新しいレンズを設計…

戸田保一 

とだ・やすいち/1930〜 1953年大阪大学工学部通信工学科を出て野村証券に入り、73年野村コンピュターシステム取締役。同社常務、専務、副社長を経て野村総合研究所副社長となった。のち大川功氏に招かれてCSK副会長となり、次いで佐藤雄二朗氏に請われてア…

服部 正 はっとり・まこと/1926.8.7~1983.1.29

東京都生まれ。 1951年東京工業大学工学部を卒業して電気通信省に入った。56年に独立し建設設計事務所を開設、59年「(株)構造計画研究所」を設立し社長。61年「IBM1620」を導入し、コンピュータによる構造解析の受託サービスを開始するのと並行して、情報…

平松守彦 ひらまつ・もりひこ/1924.3.12〜2016.8.21 

大分市生まれ。 1941年東京帝国大学に入り、45年4月、繰上げ卒業で海軍主計学校に進んだが、終戦で再び東大に入り直した。49年東大法学部を卒業し、商工省に入り産業公害課長を経て69年電子政策課長、74年国土庁長官官房審議官。 電子政策課長のとき情報処理…

大野達男 おおの・たつお

野村証券に入り1955年情報システム部長、66年野村コンピュータシステム(株)設立と同時に取締役、70年常務、72年社長。稲葉秀三のあとを受けて日本情報センター協会会長に就任し、受託計算サービス業の高度化、ソフトウェア業との融合、通信回線の第一次開…

塚本祐造 つかもと・ゆうぞう/1918~1993

広島県生まれ。 1938年海軍兵学校卒、海軍航空隊に入り真珠湾攻撃の第一波攻撃隊、ラバウル航空隊、横須賀基地で飛行教官、次期戦闘機のテストパイロットなどを経て首都防衛隊隊長少佐として終戦を迎えた。 元軍人というだけで就職口がなかった。ようやく入…

金岡幸二 かなおか・こうじ/1925.9.20〜1993.7.30

東京都生まれ。旧姓は石坂。 東京帝国大学在学中に陸軍に徴兵され、満州・奉天航空基地に飛行生として配属された。1945年9月、特攻の命令を受けたが終戦となり、復員して再び東京大学に入った。1949年東大工学部卒、東光電気、大学講師などを経て1…

石川忠造 いしかわ・ちゅうぞう/〜2013.5

〔中国・北京〕理経産業(現在の理経)の創業者。 北京大学を出て外務省に入り、長く北京駐在員を勤めた。1957年6月、東京・西新橋に資本金100万円で理経産業を設立した。半導体や電子部品の輸入販売からスタートし、計測器や試験装置に手を広げ、1963年9月…