稲田 博 いなだ・ひろし/1933~

〔神奈川県〕

太平洋戦争で徴兵され、終戦直後、日本飛行機系列の自動車修理工場(日飛自動車)で働きながら横浜駅前にあったタイプライタ教室でキーボードと英語を習得した。駐留連合国軍のジープやトラックの修理を通じて英語をマスターした。

タイプライタ教室を卒業するに際して、地元紙に「就業希望」の広告を出したところ、駐留米軍に採用された。駐留米軍所沢通信部隊に事務員として勤務後、川崎在日米軍補給廠で新規採用を担当した。

のち「株式会社第一電算」の設立に参画して計算機センター所長。

1972年4月、東京都港区三田に「株式会社第一ソフテック」を設立した。日本情報センター協 会で副会長、情報サービス産業協会で常任理事兼総務委員長としてその活動を支えた。また、東京都と通産省の肝煎りで設立された「株式会社タイム二十四」ではITサービス業界を代表して専務の職にあった。