北村 亘 きたむら・わたる

1976年11月、高千穂交易から独立して「ビック情報機器株式会社」を設立した。 独立に際してTDCソフトウェア・エンジニアリング(現在のTDCソフト)創業者の野﨑克己氏に相談した。 コンピュータ・システムの安全対策コンサルティング・サービス…

リックライダー Joseph Carl Robnett Licklider/1925~1990

〔USA〕ワシントン大学で心理学・数学・物理学の学位を取得し、同大学の大学院心理学科に進んだ。のちロチェスター大学で心理学の博士号を取得した。1942年ハーバード大学心理音響学研究所の研究員となり、ここでレオ・ベラネックと知り合った。ノーバー…

リッティ James Litty/

〔USA〕会計機の考案者・事業家。 機械装置が好きだったリッティは1882年にヨーロッパに渡ったとき、客船の機関室を見学した。彼はボイラーの熱がタービンを回し、スクリューのシャフトが勢いよく回転するところを見て感激した。機械というものであれば何…

ライプニッツ Gottfried Wilhelm von Leibniz/1648~1716

〔ドイツ〕パスカルが考案した計算具「パスカリーヌ」を改良して、計算装置を開発した。「二進法」を取り入れ桁上がりを正確にすることができた。

矢頭亮一(良一) やず・りょういち/1878~1905

〔大分県〕卓上型歯車式計算器「パテント・ヤズ・アリスモメートル」を考案した。国産計算器の量産に成功した。 現在の大分県豊前市岩屋に生まれた。父親は岩屋村の村長だった。中学校を退学し、独力で飛行機の研究・開発に取り組んだ。大阪、長崎に出て数学…

モーランド Samuel Morland/1625~1695

ジョン・ネピア(1550~1617)が考案した初源的な計算具「ネピアロード」を改良した計算器を作った。円盤の直径の両端に数字を配し、どのような被乗数に対しても、当な円盤を配置する仕組みを備えていた。現物は残っていないが、記録によって確認されている…

モンロー Monroe

ボールドウィンと協力して1912年、科学技術計算にも耐え得る実用計算機を作製し、モンロー・カリキュレーティング・マシンズ社を設立した。キーボードを採用し、操作性がよかったことから全世界で販売され、日本では1918年に丸善が輸入代理店となっている。

元岡 達 もとおか・とおる/1929~1985

〔東京〕1952年東大工学部を出て山下研究室研究員となり、1957年助教授、1967年教授似就任した。TAC(Todai Automatic Computer)プロジェクトを振り出しに演算素子やコンピュータ・アーキテクチャの研究で多くの実績を残した。1985年東大大型計算機センター…

逸見治郎 へんみ・じろう/1878~1953

マンハイム計算尺を模倣し1909年に「ヘンミ計算尺」の特許を取得した。1938年合資会社逸見計算尺を東京・猿楽町に設立した。 17歳のとき東京・猿楽町にあった中村測量計器製作所という会社に入り、目盛工として働いていた。目がよく、手先が器用だったため20…

フレデリック・テーラー Frederick Winslow Taylor/1856.3.20〜1915.3.21

法学を志してハーバード大学に入ったが、目の病のため学業をあきらめて鉄鋼所の工員になった。機械工、組長、職長、保全職長、設計室長、技師長を経るまでの間、夜学で大学を卒業した。 のちベツレヘム鉄鋼所の顧問などを歴任し、独自に編み出したのが「テー…

金子利八 かねこ・りはち

1925年、統計会計機械装置や金銭登録機などの事務機械を紹介する『事務管理』を出版した。

稲田 博 いなだ・ひろし/1933~

〔神奈川県〕 太平洋戦争で徴兵され、終戦直後、日本飛行機系列の自動車修理工場(日飛自動車)で働きながら横浜駅前にあったタイプライタ教室でキーボードと英語を習得した。駐留連合国軍のジープやトラックの修理を通じて英語をマスターした。 タイプライ…

李龍兌 Lee Yong-The/イ・ヨンテ/1932~

〔韓国〕韓国情報産業の基盤形成者。 韓国李王朝の分家に生まれ、祖父が1000ウォン札の肖像となっている。 ソウル大学を出てアメリカに留学し、コンピューター・サイエンスを学んだ。1972年韓国政府に招聘され母国に戻り、FACOM230-10やIBM1440のプログラム…

井澤秀雄 いざわ・ひでお

東芝の電子計算機事業の初期における事務方を担当し、のち営業に転じた。特に東大のTAC(Todai Automatic Computer)プロジェクトでは、東大、文部省、東芝の3者間で調整役を果たした。また文部省との予算折衝などにしばしば立ち会った。 1964年に電子計…

池田敏雄 いけだ・としお/1923.8.7~1974.11.14

出身地:東京・両国 1943年東京工業大学に進んだが、1944年4月勤労動員に駆り出され、大宮造兵廠で兵器の生産に従事した。1946年9月大学を卒業し、同年12月富士通信機製造に入社した。配属されたのは技術部交換機課だったが、年明けすぐに機構研究室に配属…